ポリヴェーガル理論とは

多重迷走神経理論(ポリ・ヴァーガル・セオリー)は、イリノイ大学の脳神経学者のスティーブン・ポージェス博士によって、多重迷走神経理論ポリ・ヴァーガル理論)が提唱され、近年主に深刻なトラウマ体験のサバイバーや彼らのセラピストから注目を集めています。自律神経系の働きに関する、新しい学説です(博士は現在も現役の研究者ですが、大学は退官)。

 

ポージェス博士は、従来副交感神経として分類されていた神経を3つに分けました。

副交感神経に分類される神経の多くを迷走神経(第X脳神経)が占めますが、この迷走神経を機能別に、

(1)延髄の疑核を起始とする迷走神経と、

(2)延髄の迷走神経背側運動核を起始とする迷走神経

の2つに分けました。

延髄疑核を起始とする迷走神経と他の鰓弓由来の脳神経(三叉神経、顔面神経、舌咽神経、副神経)が協調して、他の個体と共働する機能に注目して、腹側迷走神経複合体あるいは社会神経とポージェス博士は命名しました。

そして、延髄の背側核を起始とする迷走神経と、孤束核に停止する脳神経である背側迷走神経複合体との機能も明らかにして、腹側迷走神経複合体、交感神経、背側迷走神経複合体の機能について、次のように説明します。

腹側迷走神経複合体
(社会神経)
もっとも新しい。哺乳類が発達させた、 社会性。定位反応
交感神経 2番目位に古い 逃げるか、戦うか(逃走・闘争)
背側迷走神経複合体 もっとも古い 消化・吸収・排泄・睡眠・深い瞑想・凍りつき

私たち哺乳理は進化の過程で、群れ社会)を作り、他の個体他者)と共存することによって、生き残りを優位にするという戦略を取りました。

じゃれあうネコさんたち社会性を担う神経(腹側迷走神経複合体)を発達させることによって、
そしてこの社会性を担う神経が、交感神経が扱うことのできる大きなエネルギーと同等の大きなエネルギーを扱えるようになることによって、
生存をより優位にしたのです。

 

ある出来事に接したときに、私たちはまず社会性を担う神経システムである、腹側迷走神経複合体が優位になり、対応しようとします。

 

(ⅰ)その状況が社会性を発揮するのにふさわしくないとき(例えば、極端な例になりますが、いきなりナイフを持った人が突進してきたとき)

交感神経が優位になり、状況に対応しようとします。逃げるか、戦うか(逃走・闘争反応)です。

 

なんらかの原因で(過去や現在のトラウマティックな経験など)、交感神経が機能しなければ、背側迷走神経が優位になり、凍り付きます。具体的には気を失ったり、崩れ落ちたり。

 

 

(ⅱ)その状況が社会性を発揮するのも、逃げるか戦うかを行うこともふさわしくない場合には(例えば、眠るとき、深い瞑想に入るとき)、背側迷走神経複合体が優位になります。

 

 

(ⅲ)その状況が社会性を発揮するのにふさわしい通常の状況であっても、なんらかの理由により(過去の辛い経験など)、社会性を担う神経システムが働かない場合には、交感神経が優位になり、状況に対応しようとします。逃げるか、戦うか(逃走・闘争反応)です。確実に相手との関係は悪化するでしょう。舞台芸術家であれば、力んだ演奏になります。

 

さらになんらかの理由により(過去の辛い経験やトラウマティックな経験など)、交感神経も働かないと、背側迷走神経複合体が優位になり、凍りつきます。舞台藝術(演奏や踊りや演劇)の本番という状況での具体例はこのページの後ろの方に複数挙げます。

 

 

これは生理的反応として現れるので、意思でコントロールできないことが多いのです。

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自律神経と腹側迷走神経複合体・背側迷走神経複合体の概念図

勘違いされる方がいますが、副交感神経が、腹側迷走神経複合体と背側迷走神経複合体に分かれるのではありません。

もっと複雑な話です。分かりやすい説明には警戒しましょう。

腹側迷走神経複合体、背側迷走神経複合体の概念図

腹側迷走神経複合体、背側迷走神経複合体の概念図

 

 

 

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草食動物の凍りつきと、凍りつきからの脱出方法

凍りつきは、草食動物が捕食動物に捕まったときに起こります。

草食動物が草を食んでいるとき、同時に周囲にも注意を払っています(定位反応が働いている)。そして、そこに獲物を捕るためにメスのライオンが現れます。

狩りをするときに捕食動物の目は、凝視するようになり、交感神経が活性化します。自律神経の状態は近くにいる別の個体に影響を与えるので、お母さんライオンの交感神経の活性化と物音に反応して、草食動物たちはいっせいにばらばらに逃げ始めます。小食動物たちの交感神経が極限まで高まって、逃げるのです。

そして、運悪く(お母さんライオンにとっては運のよいことに)1匹の草食動物が捕まってしまいます。

 

そのとき、まだ致命傷を負っていないのに、背側迷走神経複合体が優位になり、凍りつき(あたかも肉体と中身が分離するような状態)が起こり、あたかも死んだようにばったり倒れます。

 

凍りつきが起こる利点は3つ。

  1. 「こいつ、すぐぐったりしたから、悪い病気でも持っているのかもしれない」と捕食動物が勘違いをして、「食べたらに危険だから」と立ち去ってくれることが、ごくたまに起こること。
  2. 捕食動物は、食べるときに、とどめをさしてくれません。ほぼ”生き作り”状態で食べられます。その際に、あたかも全身麻酔がかかっている状態になるので、痛みを感じないですみます。
  3. そして、生き残る可能性が高くなること。ライオンのお母さんは、その場ですぐに食べず、子供たちを呼びに行くことがあります。子どもたちだけで、平原を異動するのは、他の捕食動物から狙われる危険も大きいので、危険だからです。
    そのあいだに凍りつきから抜け出すことができれば、逃げることができます。もし、漁夫の利を狙ったハイエナが現れて、お母さんライオンと戦い始めたら、逃げることができるチャンスはさらに高まります。幸い、無駄な抵抗をしなかったおかげで、最低限の怪我で済んでいます。まだ逃げるチャンスがあるのです。

草食動物たちは、凍りつきから出てくるときに、小刻みに震えて(凍りつき反応のために生体内に滞留したエネルギーを放出して)、凍りつきから出てきます。再び交感神経が極限まで高まった状態になります。

 

ちなみに、凍りつき反応は俗に”死んだふり“と呼ばれますが、適切な表現とは言い難いです。別に演技をしているわけではありません。生理的な反応として起こります。

 

そして凍りつきから出て、安全なところまで逃げたときに、再び小刻みに震えて、交感神経の過剰な活性化から抜け出します。それをしないで群れに戻ったら、小さな刺激に大きく反応しすぎて、群れで社会生活をするのに支障が出ます。

しかし、このように脱活性化するので、群れの他の個体と協調して生活することができますし、トラウマに捕まることもないと言われています。

 

おっと、ここでツッコミが入りそうですね。

野生のコアラには、ユーカリの森の山火事で、トラウマ症状が引き起こされることがあることが広く知られています。テレビのプログラムで、トラウマ症状を引き起こしたコアラが、動物園に保護されている映像をご覧になった方は多いでしょう。

潜在自然植生という概念を打ち立てた宮脇昭先生のご研究によると、西洋人がオーストラリアに入植するまで、ユーカリが大森林を形成することはなかったそうです。つまり入植者たちが大規模な樹木の伐採をした結果、成長は速いが、油分を大量に含み、日照りが続くと火事の原因になるユーカリの森が広がったのです。

コアラが火事の起こりやすい新しい自然環境に生理的に対応できなかったのは、無理もなかったのです。

 

そして、人間は現在の状況(長い間椅子に座って仕事をする生活など)に生理的に適切に対応できないのも、無理はないかもしれませんね。

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具体例-舞台の本番を例に

上手く行く例

冒険するにゃあにゃあ舞台の本番や大事な場面に強い方たちがいます。

 

適度な緊張はするけれど、練習通り、あるいは練習以上のパフォーマンスを発揮します。

 

自律神経が適切に機能しており、総じてそういう方たちは上手く社会的に対応市営ます(個人的な性格が、社会性があるかどうかはまた別の問題)。

 

また新しいことにチャレンジしようという気概に満ちあふれています。魅力もあります。その方のことをよく思わない人もいるかもしれませんが、見方やファンも多いです。

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上手くいかない例

従来の学説(通説の自律神経を交感神経・副交感神経に2分する説)では、ストレストラウマによって、精神的・肉体的に不健康な状態におちいった人の状態をじゅうぶんに説明しきれないし、改善すための方向性を示すことができませんでした。

しかし、多重迷走神経理論ポリ・ヴァーガル理論)は、状況を説明できるし、改善のための方向を臨床で示すことができるので注目を集めています。

 

先ほどの具体的な状況に当てはめて言えば(実際にはこんなに単純に説明しきれませんが)、

舞台の本番を例にすると、実力が発揮で着ない人がいます。

人によっては、舞台の本番や大事な場面で、体温が下がる

–>背側迷走迷走神経複合体が優位になり、凍りつきが起きている

 

人によっては、指が冷たくなる。

–>背側迷走迷走神経複合体が優位になり、凍りつきが起きている

 

人によっては、心臓がバクバクする。

–>交感神経が過剰に優位になっているところから、背側迷走迷走神経複合体が優位になりかかっていて、凍りつきが起きかけている可能性がある

 

人によっては、息が吐けない(さらに程度が甚だしいと過呼吸になる)。

–>交感神経が過剰に優位になっているところから、背側迷走迷走神経複合体が優位になりかかっていて、凍りつきが起きかけている可能性がある

 

人によっては、息が入らない。

–>交感神経が過剰に優位になっているところから、背側迷走迷走神経複合体が優位になりかかっていて、凍りつきが起きかけている可能性がある

 

人によっては、足がふわふわして、地面にくっついていないような違和感がある。

–>背側迷走迷走神経複合体が優位になり、凍りつきが起きている

 

人によっては、エネルギーが頭に上がってしまって、降りてこない感じ。

–>背側迷走迷走神経複合体hが優位になり、凍りつきが起きている

 

人によっては、舞台の本番前にお腹を壊す。

–>腹側迷走神経複合体・交感神経・背側迷走迷走神経複合体のバランスが崩れている。

 

人によっては、舞台の本番前に便秘になる。

–>腹側迷走神経複合体・交感神経・背側迷走迷走神経複合体のバランスが崩れている。

 

人によっては、本番後に必ずお腹をお壊す。

–>腹側迷走神経複合体・交感神経・背側迷走迷走神経複合体のバランスが崩れている。本番前と本番中に交感神経が過剰に優位になっている可能性もある。

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当セッションルームでのセッションの進め方

私たちは大きな問題があると、すぐに解決しようと思いますが、大きな変化は私たちの神経システムにとって大きな負荷になり、逆に状況をひどくすることもあります。

トラウマ治療のためにカウンセリングを受けて、悪化するケースを思い浮かべていただけるとよいでしょう。不適切なカウンセリングを受けて。二次トラウマを被って、自殺するケースもあります。

 

ソマティック・エクスペリエンス・トラウマ・アプローチの原理に従いゆっくりと少しずつ(タイトレーション)、そして先入観を持たず、具体的に生徒さんからお話を伺いながら、そして、なるべくきちんとした羅針盤をクライアントさんに与えながら、セッションしていくことが大切であると、私は思います。

 

そして、ステージ・フライトがどういう状態なのかということについて、おぼろげながら説明できるようになると、どのようにセッションしてゆけば解決してゆけるのかということも少しずつ分かってきます。

少なくとも、行き当たりばったりのセッションや、「すべては時間が解決する」というセッションよりも、少しはマシになります。

 

 

2011年の暮れにネットで、ポリヴェーガル理論あるいは多重迷走神経理論ついて調べたとき、日本語では1件しか出ませんでした。今や数100件ヒットしますし、内容の誤りが甚だしい情報が溢れています、このような混乱が起きているのは、概説書の翻訳がないからです。早期の出版を望みます。

 

この文章の作成にあたって、2012年8月から2015年3月にかけてトレーニングをを受けたSomatic Experiencingのお講座から受けた示唆は大きかったです。
特にアシスタントとして参加され、たいへんお世話くださった平田 継夫さんからのご教示のおかげで理解がより深まりました。

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参考文献

ポリヴェーガル理論についてスティーブン・ポージェスとのインタビュー(BIPSのホームページ)

 

 

 

2023年9月24日()と10月8日()の2日間に、津田真人さんによるポリヴェーガル理論から身体と脳を見つめ直すクライエントさんを観察し状態を把握するための解剖学・生理学・脳科学を主催することになりました。詳細はこちらに。

なかよし猫たち