気がついたらセッションで「”からだ”を感じてください」と言わなくなっていた

私はソマティック・エクスペリエンス(以下SE)というトラウマを解消するワークの訓練を受けて、そのセッションをしています。

 

「”からだ”を感じてください」と言うのがSEセッションの定型句のようになっていますが、私はその言葉を、気がついたら、使わなくなっていました。

 

そのSEトレーニングでごいっしょした方から、トレーニング中に、飲み会のときにシェアしていただいたことがありました。

詳細については申せませんが、ものすごく簡単に要約すると、初回のSEセッションを受けた後、ものすごく体調が悪くなった。ものすごく悪い夢を数日見た。今から思うと、感じようとしすぎたからではなかったかと。

この方は後日トレーナーにも個人的にこのときのことをお話しになり、質問されました。私もいっしょにトレーナーの先生のお答えを聞きました。そのお答えがずっと心に残っています。内容に関しては個人的な情報が含まれるので、書くことは致しません。

 

思い返すと、私もトレーニング中に「からだ」を感じようとして、ちょっと気分が悪くなったことが複数回ありました。仲間うちの勉強会に行くと、やっぱり同じような経験をしている方が、多数ではないのですが、少なからずいらっしゃいました。

 

「からだ」を感じ始めたら、「からだ」が痛くなったり、調子が悪くなったりすることがあり、次のようなケースが考えられます。
 
<ケース1>
それは今まで遮断していた感覚が意識に上ってくるようになったからなのかもしれない。必要なプロセスなのかもしれない。痛みや違和感を感じるようになったら、無理なことはしなくなるかもしれません。だからこれは一概に悪いことだとは言えないのです。

<ケース2>

しかし、もしかしたら、プロセスが進行しすぎたのかもしれません。もう少しプロセスの進行を少しずつにするようにサポートしなければ、クライエントさんは日常生活を送れなくなるかもしれない。
 
<ケース3>
もしかしたら、”からだ”を感じようとするのがトリガーになって、今までなかった痛みや不調を引き起こしたのかもしれない。
 
専門家としてはその辺りを見極める必要があるのではないかと。そして、<ケース3>は絶対に避けなくてはいけないと考えます。もちろん、いろいろな考え方があって、相手に刺激を与え、深いな感覚を引き起こし、その不快な状態から出てくる方法を学んで委託という観点で、意図的にケース3の方法を行なうという考え方もあります。

あくまでも私は極力<ケース3>は避けるというお話です。少なくても初回は。

 

では「”からだ”を感じなさい」という代わりに、どのようにセッションを進めていくのか。
私のつたない経験では、手掛かりはクライエントさんがお話しくださるときの、あるいはなにかを動きをされたときの目ではないかと思います。

「からだ」を感じようとして、目をつぶらないまでも、伏し目がちになり「からだ」の内側を見ようとしたり、斜め上の1点を見つめたりしたら、SE用語や動物の行動学の用語で言うところの定位反応を失ったら、要注意ではないかと。

 

SEの王道から外れているかもしれませんが、私自身は「”からだ”を”感じてください」とクライエントさんに言うことはなくなりました。

「”からだ”を”感じてください」と言われると、当惑する人もいます。

「まあ、びっくり! 面白い♪」ならよいのですが、

「全然分からない。この人、なに訳の分からないこと言っているの?」って一瞬でもクライエントさんを当惑させたら、個人的には失敗だと思っています。少なくても、初回のセッションでは。

 

むしろ、クライエントさんの視界の広さ(狭すぎても広すぎても危険なことの兆し)や目の動きに気をつけます。それが少しずつワークを進めることになるし(SE用語で言うところのタイトレーション)、クライエントさんの安全性を担保することにもつながるのではないかと。

 

「”からだ”を感じてください」と言う代わりに、私の腕を掴んでいただいて、どこに力が入っているのか訊いたり、右を見たり左を見たりしていただき、どちらのほうが動かしやすいのかお聞きすることはします。

 

あとはクライアントさんを信じて待っていたら、”からだ”に対する気づきは、こちらが聞かなくてもお話しくださるようにになる。。。それが私のつたない経験です。

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